数字の「2」の意味がわからなくなる

僕がとうとう自宅謹慎になったときの話をしましょう。

ある夜、僕は大日本印刷の出張校正室という部屋にいました。
出張校正とは、雑誌が印刷される寸前に、
印刷物の文字などをチェックする作業です。
土壇場の作業ですから、あるときは怒号が飛び交うなど、修羅場でもあります。

僕はそこで、自分が書いたパソコン特集の記事をチェックしていました。
国産メーカーのパソコンが、「22万9800円」。
この数字は、メーカーの広報から取り寄せたもので、間違いはありません。
でも僕には、それが本当に広報が発表した数字であるか確信が持ちません。
自分がもらっておきながら、その資料がほかの何かとすり替わっているのではないか、

広報部の連中が誤記をしているのではないか、などなど、
さまざまな疑惑が頭をよぎります。
そこでその日の午後に確認したにもかかわらず、また広報部へ電話を入れました。
担当者は帰宅して、確認が取れません。

パニック。
もうどうしていいのやらわかりません。
みんながあくせく校正を進めるなか、
僕は同じ資料を何度もなんども見返しています。
「おい、まだ見てるのか」。編集長がイライラしています。
イライラされるとまた焦りが生じます。

そのうちも奇妙な思考経路に陥りました。
「この22万9800円の2って、なんなんだっけ。2が二つ続いているけど、
この違いはなんなのだろう」と「2」という数字の概念について疑いを持ち始めるのです。
「そもそも2って、なんだろう。この形状が表す意味の確信が持てない・・・」。
そうして、僕は「2」と格闘したわけです。
2時間も、3時間も。

とうとう編集長は怒って僕の記事の刷りだしを取り上げます。
「おい、おまえさ、ほんと、ノイローゼだから帰れよ」
僕は呆然としました。
「ノイローゼ」。そんな言葉いまどき改めて言われたことにびっくりしたのです。
いま、ノイローゼなんて病名ありますか。
また強迫神経症と言われた方が腑に落ちます。
実際、そう言われ続けていたのですから。

でも、僕は編集長の怒りと呆れがにじんだ目を見たとき、
なにか自分が途方もないことをしでかしていることになんとなく気づいて、
突然、席を立ち、「失礼します」と言って、出張校正室を去ったのでした。

それがはじめて、会社で私が病人であることが明らかになった瞬間でした。