そんなプライド、捨てちまえ!

バリバリ働いていた会社で統合失調症を患い、山の中の病院で治療を果たし、
社会復帰を遂げた僕でしたが、結果は惨憺たるもの。

みんなには白い目で見られるし、仕事も来ないし、できない。
発病前は、社内でふんぞり返っていた僕が、虫の息で申し訳なさそうに、椅子に座っている。

特にこたえたのは、女子の目線。
発病前は、「飲みに連れて行ってくださいよぉ」などの誘いをよく受けた僕。
発病後は、ランチにすら誘われない。
こんなことではいけないと、自分を発奮させて、みんなの後について、レストランに入るが、みんな無言になってしまう。

これはこたえます。

男としてのプライド、仕事人としてのプライド、そして人間としてのプライドがずたずたに引き裂かれました。

前にも言いましたが、


「よお、高給取り」
(仕事してないで給料人並みにもらっている奴の意)

などと揶揄されても、反論もできない。

誇りというものが、人間にとって、どれほど大切なものか。

ひろさちやさんの般若心経講義から始まる僕の物語ですが、
ほんの少し脱線して、禅の言葉を引用します。

禅とは、仏教の一宗派で、座禅の修行の中心に置く修行のスタイルです。

「放下著」(ほうげじゃく)

ある僧が師匠に、「私は(修行の末)もはや何も持っていません。
すべてを捨て去りました。そんな私はこれからどんな道を歩んだらよいでしょう」と質問したところ、師匠が述べたのがこの言葉。「捨てちまえ」

何も持っていないと自慢する僧のその心を捨てなさいと言っているのだと思います。
僕はこの言葉が大好きです。
僕の処女作『29歳からはじめる ロックンロール般若心経』のキャッチフレーズは、

人間、手ぶらでバカがいい」

というものです。
プライドなんてものは、まずまっさきに捨てるものだと、僕は思っています。
僕の場合、自分から手放したのではなく、強制的に奪われたのですが、
それでも、自分のプライドに未練たっぷりの時期が10年ほどありました。

おれはあのとき、病気にならなければ、こんなやつらには負けていない。

などと、たわけたことを毎日、呪文のようにつぶやいていました。
しかし、この「放下著」という禅語を知ったとき、
そうか、捨ててもいいものなのか、と気持ちが軽くなったものです。

捨てなさい。
とにかくどんどん捨てなさい。

と、この言葉は言っています。
捨ててしまえば、もう失うものはない。怖いものなしです。
僕も期せずして、そんな丸腰状態に陥って、
そうか、じゃんじゃん捨てるって、心を軽くするんだなあ、と実感できたのです。

お金もプライドも恋人も趣味のコレクションも、みんなみーんな捨てていこう、と決意できたのです。

この捨てるという行為は、仏教の中でとても重要な考え方です。
よくお寺で「お布施」などと言って、寺の修繕費を請求されますが、
そんなのは、「お布施」ではない。
もともとは煩悩を捨てるために、金品や食物、衣類などを他者に提供することが「お布施」本来の考え方です。

捨てましょう、どんどん捨てましょう。
捨てていくと同時に、心はどんどん軽くなっていきます。
カネの魔力には相変わらず、負け続けた僕ですが、
いちばん先に捨てたものは、このプライドという鼻持ちならない心でした。