社会復帰してよみがえる、妬み、恨み、憎しみ

平穏に暮らしつつある、いま、あの地獄のような日々を思い出して書いています。

でも、あの地獄の30代のことをいくら思い出そうとしても、鮮明さに欠けます。
どこかで微妙に輪郭がぼけているというか、ピントが合わなくなります。

夢の中のような10年でした。

小さな業界誌の会社で、少しずつ自分を取り戻していきました。
正確に言うと、自分を取り戻すというより、新しい自分が生まれてきたのです。
いままでと全然違った人格。
それは般若心経を中心とした仏教の教えに基づいています。

僕は業界誌の社長を裏切り、中規模の出版社に転職しました。
みんなに助けてもらったご恩をすぐさま忘れ、
自分だけでやっていけるつもりになっていたのです。

その出版社では、書籍の編集者の仕事を得ました。
鉄道やブライダル、マネーなどいろいろな分野の書籍を作りました。
あれだけ引きこもっていた僕が、なにか編集者として
いっちょまえな口を叩くようにもなりました。

おれは病気だった。
ついていなかったから、
自分の能力が発揮できなかった。


そうやって病気を悔やんだり、嘆いたりして見せました。
大馬鹿者です。

そんな中、かつて勤めていた出版社の同期会があったのです。

まだいくべき時期ではありませんでした。

久々に顔を揃えた男女はみんな輝いていて、快活でした。
有名人などとの交友の話や、最新のトレンド事情などが飛び交い、
僕はそれにまったくついていけませんでした。

みじめだ、妬ましい、悔しい、憎い
と感情が増幅していったのです。

僕は一次会で退散して、新宿の場末の居酒屋でまずいホッピーを飲んだと記憶しています。

そのときは般若心経の教えなど吹っ飛んでいました。

後悔しない。
他人と比較しない。
奢らない。

など般若心経が教えてくれたことが、いとも簡単にすっ飛んでしまったのです。

人は生存を脅かされると、信念なんて、
簡単にすっ飛んでしまう存在なんです。

世の中に、絶対的なものは存在しない、と般若心経は言っています。
永遠に不滅な真理などないのです。

ただ、あるのは世界が変化する、
そのことだけです。

僕は般若心経に救われたなどと思っていましたが、
そんなことは嘘っぱちだと気づいた夜でした。

そのとき、僕ははじめて般若心経の門を叩いた新入生になったのです。