「不」と「無」が30個も! 常識をメッタ斬りする般若心経の魅力

なかなか世の中と折り合いがつかず、
ついには、妄想でドイツ人のスパイに命を狙われていた僕。

「勝ち組」だの「負け組」だの地位や名誉、カネに縛られるこの世が苦しくてたまらない。
ええ、昔はそういう世界も嫌いではありませんでした。
受験戦争も体験して、憧れの企業に入社して、得意満面な顔で街を闊歩していた時代もありました。

でも。

だんだんそれが息苦しくなりました。

僕が二度目に就職した会社は超学歴主義で、
東大・早稲田卒の人が大半でした。
彼らは自分たちのヒエラルキーを維持するために、
小さな小さな努力をしていました。

たとえば。

同じ早稲田大学を出た人でも、その中でカースト制度があるのです。

「あいつは、政治経済学部か、かなわねえな」
「あいつ、文学部? へえー」
「教育? なんでまたうちの会社に」
社会学部? 苦労したのね」

みたいな会話や雰囲気に満ちていました。

息苦しかった。
でも、僕はそいつらに敗けないために、大いに虚勢を張っていました。

あげくのはて、精神病院に・・・。

ところで。

般若心経は262文字しかありませんが、そのうち、30字も、

「不」や「無」

という言葉が散りばめられているんですよ。
おもしろくないですか。

それぞれのフレーズには深い意味があり、
それはこのブログでのちのち解説していきますが、
今日はなぜ、「不」や「無」がこれほどまでにたくさん使われているかについて、
ほんの少し考えてみます。

「不」とか「無」はご存知のように、否定の言葉です。

このポジティブ時代に、「ノー、ノー」と言っているのは、
なんか時代に逆行しているようですね。

では、何を否定しているのでしょう。
ざっくり言いましょう。

常識を否定しているのです。

もっと具体的に言いますと、

先入観・偏見などの色めがね

を外しなさい、と言っているのです。

世界を裸眼で見よう!

と唱えているのです。

冒頭の例で言いますと、
早稲田大学のどの学部を出ているかなんて、
目くそハナクソの世界です。
自分たちの狭いアイデンティティでしかものの見えない悲しい習慣なのです。

あいつの時計はロレックス、
おれの時計は、カシオ。

あいつの家は、代官山、
おれは上野の四畳半。

あの子の彼氏は、三菱商事
私の彼氏はプータロー。

いいじゃないですか。そんなこと。

生きていだけで、まるもうけ

とは、よく言ったものです。

人間、手ぶらで生まれてきました。
そして手ぶらで死んでいきます。

ほんの束の間、ちょくら手にした所有物など、
たいした価値もありません。

ロレックス、代官山、三菱商事も、
この2014年東京のしかも狭い価値観を持った人たちだけに響くキーワードです。

生まれ丸裸、死ぬのも丸裸。
だったら途中も丸裸のほうが、
失うものもなく、すがすがしく生きられるのではないでしょうか。

そんなものたちをかき集めようとして、
人生を棒に振りかけた僕がそういうのですから、
安心してください。
大丈夫です。

丸裸、手ぶらで疾走しましょうね。ロケンロー。