頭ではほんとうの体験はできない
頭で考えたことは、ゴミ
ぼくは意外とお勉強好きです。
般若心経も学問として、最初に読み始めました。
ぼくは体系だった学問が大好きです。
論理的に美しければ美しいほど、その学問を愛します。
しかし。
人間が考えることは、限界があります。
人間の思考など、ただ事実の寄せ集めでしかありません。
たとえば、「ピンクの象」がいると考えた人間はおもしろいです。
でも、「ピンク」も「象」も実在の事実の合成でしかありません。
クリエイティブな人がもてはやされる時代ですが、
クリエイティブといったって、しょせん、昔のアイデアの組み合わせでしかありません。
ゴミのようなものです。
論理の外に真実がある
想像力とは、既成の概念をぶちやぶったときのパワーにほかなりません。
しかし、その素晴らしい想像力ですから、
寄せ集めのアイデアのぶつかりあいでしか、ありません。
ところが、人間がほんとうに解放されるのは、
そういう他人から押し付けられた過去の遺産ではありません。
自分の体験です。
自分が論理や概念から自由になり、
いま、ただこの瞬間の投げ出される体験。
自分を信頼して、それを受け取る勇気。
自分がいま、存在して行為することの驚き。
それこそが、生をリアルに生きていることですし、
ほんとうの意味での解放、といえるでしょう。