【禅語】庭前の柏樹子(ていぜんのはくじゅし)〜「リーダーになる人の武器としての禅の名言」より

目の前の大きな宝物に気づく。


ある僧が師に「禅が生まれた本当の理由はなんですか」と尋ねました。

すると師は「庭の前にある柏の木じゃよ」と答えました。

突拍子もなく聞こえるのが禅問答の痛快なところですが、
ちゃんと本当の意味もあります。

尋ねた僧は師匠から壮大な思想を聞こうとウズウズしていたわけですが、
師匠に庭先の柏の木だと肩すかしを食いました。
ところが、これは単なる肩すかしではありません。

なんの変哲もない柏の木にも宇宙が体現されています。
生命があり、光合成をして、成長して、
そこには宇宙の神秘があります。

よくまわりを見渡せば、
この世界は神秘と不思議に満ちあふれています。
これらの神秘と不思議に気がつかないのに、
神とは、宇宙とは、真理とはなどと
大きな妄想を広げていくのは不健康かもしません。
禅ではこのような頭でっかちで大上段に構えた議論は喜ばれません。

私たちは世界の神秘を、論理を使って解釈しようとします。
言葉や数字でねじ伏せようとします。
それがこの現代社会の歪みを生みだしています。
世界はもっと繊細で多様です。
ずさんなロジックで何でも解決しようとするのは、人間のおごりです。

まずは身近なところから。
禅は身近なところへの気づきにはじまり、
身近なところの気づきに終わります。
ブッダは死後の世界や霊魂の有無など
形而上学や哲学的議論には沈黙を通しました。
これを「無記」といいます。

悩んでも答えの出ないことは考えないのが、仏教の立場です。
まずは目の前の自然や家族の生命の尊さなどの素晴らしさにもう一度、
注目してみませんか。