不生不滅。本当は世界ははじまっても終わってもいない

出来事にははじめと終りがある。

だからいいんだ。と、いつも言っていますが、実ははじめも終わりも本当はないという恐ろしい話。

僕は病気時代、そして失業時代、なんでこんな病気や失業がはじまってしまったのだう、この苦しみはいつ終わるのかな、などと考えていたのです。

だれだって、苦しいことは早く終わって欲しいですからね。

般若心経には「不生不滅 不垢不浄 不増不減」という有名なフレーズがあります。

「不垢不浄」については、何回か前にお話しました。
今回は「不生不滅」(ふしょうふめつ)。

「不滅」という言葉は知ってますよね。
「永遠に不滅です」みたいな言い回し。
そう終わることがないという意味です。

では、「不生」ってなんでしょう。

はじまることはない、という意味です。

不生不滅。
生じることもなければ、滅することもない。

いったい、なんのことだ、と思われるかもしれません。

もっと補足をつけて言いますと、

世の中のあらゆる物事は、勝手に自分ではじまる(生まれる)こともなければ、勝手に自分で終わる(滅する)こともない

という感じでしょうか。
まだわからんですよね^^;

たとえば、ここの一本の鉛筆があるとします。
この鉛筆、工場で生産されて、生まれるわけですが、
生まれる前からその素材は森のなかにあったわけです。

また、鉛筆はいずれ小さくなってなくなっていまいますが、
芯は文字として紙の上に残りますし、木の部分は削られてゴミ箱に行き、焼かれて灰として残ります。

このようにあらゆるものは存在する前から別の形で存在していたし、その形状を失っても、別の形で残っているのです。

こういうのを仏教では、「縁起(えんぎ)の法則」といいます。

この法則は、鉛筆のような物質だけでなく、世界に存在するあらゆるものに、適応するのです。

たとえば、恋愛なんて言うのもそうです。
恋のはじまり、終わり、なんて言いますが、
二人が出会う前から二人は存在して、別れた後も二人はまた別の人生で生き続けるのです。

これを聞き、ジェームズ・アレンの「『原因』と『結果』の法則」をイメージした人もいるでしょう。まあ、似ているといえば、似ています。

僕は病気になりました。でも、病気になる原因も確かに自分で作っているのです。
傲慢、奢りなどのワルい種を一生懸命自分の中に植えていたのです。もちろん、遺伝などもあるでしょう。でも、遺伝も含めてそのような原因があったのです。

またこの病気が、失業を呼び、借金苦を呼び寄せたのです。
すべてはつながっているのです。

恐ろしいですね。他人のせいにはできませんね。
だから、悪循環が悪循環を引き寄せていくわけです。

「不生不滅」はまさにその人間の因果について教えてくれます。

でも、悪いことばかりではありません。

僕はいま、元気になり、本も書き、仕事もしています。

どうしてか。

途中から、悪い種をまくことをやめようと決意できたからです。

すべてが「縁起の法則」でつながっているならば、それを逆手に取るのです。
悪い習慣を断ち切るのです。

そんなこと言っても簡単ではありません。

僕は何をしたのかな・・・正直、思い当たりません。
でも、言えることは、仏教が嫌う「こだわり」「とらわれ」から逃げ出すことはしました。

傲慢な僕が上から目線をやめたのです。
すると、人々はまた僕に対して、笑顔を向けてくれるようになりました。
そして僕も笑顔を返す。すると、

世界がピース

になっていくのです。
悪い循環を小さなことから改善していくのです。

僕の尊敬する人は自堕落な自分を改善するために、
まず毎日、家族のために靴をそろえることからはじめたそうです。
いまでは、大金持ちです。やったー。

ちょっと長くなりました。
最後までおつきあい、ありがとうございます。
「縁起の法則」については、また後日、お話しますね。チャオ。