常識を笑い飛ばせ
世間から見れば、僕は不幸のどん底でした。
正直、自分もそう思っていました。
失業につぐ失業。
サラ金地獄。
不治の病い。
孤独。
笑いにも笑えない状況です。
死にたい。
そう思いました。
でも、死にませんでした。
死ねませんでした。
生きたかったのです。
死ぬのが怖いというより生きたかったのです。
生きたい
生きたい
生きたい
どこかでそう思ってました。
自覚していないけど、心の奥で僕の命がそう叫んでいたのでしょう。
そんなとき、般若心経に出会いました。
般若心経は、常識などくそくらえ!
と言っている気がします。
僕はいまでも、常識的にはアウトの人間です。
世話になった家族にすら、見捨てられた人間です。
今日は旧家に残っていた荷物をひっそりと運びました。
般若心経は、この世のものはすべて「空」だと言っています。
すべては、この世でたまたま、一時だけ存在する、仮の現象だと。
ここに一枚の名画があるとしましょう。
美は永遠などと言いますが、
この絵もキャンバスという布地と、絵の具という油が組み合わさってできた物質であり、いつかは朽ちて無くなります。
無に帰す
のです。
自分が得たカネもステイタスも仕事も家族も、この世でつかの間に生成された、一つの形状にしか過ぎないのです。
これこそ真実です。
なにか、
悲しいけど、すがすがしい
感じがしませんか?
僕は「空」というものを知って、
がんじがらめの常識から自由になれました。
僕は世間でよいとされるものを一つも持っていないばかりか、
そういうものに憧れる気持ちも捨てました。
僕の中で「空」とは、悲しいけれど、すがすがしい、ものです。
中国の禅僧は、「空」の世界観を、
青空を流れ行く雲
僕は世間でよいとされるものを一つも持っていないばかりか、
そういうものに憧れる気持ちも捨てました。
僕の中で「空」とは、悲しいけれど、すがすがしい、ものです。
中国の禅僧は、「空」の世界観を、
青空を流れ行く雲
にたとえました。
すべては仮の世界。
僕らはただ目の前を流れ行く現象をただ見守るだけ。
そうすると、心が軽くなるんです。
幸せそうな家族を見れば、幸せそうでいいね、とほほ笑み、
裕福な財産家をみれば、すばらしい業績ですね、と拍手する。
常識なんか、くそくらえですが、
常識を生きている人ですら祝福できる気持ちになれたのです。
ブッダはこんな素晴らしい言葉を言っています。
犀(サイ)の角のようにただ独り歩め
素敵です。僕もそんな風に生きれられるようになりたいものです。
すべては仮の世界。
僕らはただ目の前を流れ行く現象をただ見守るだけ。
そうすると、心が軽くなるんです。
幸せそうな家族を見れば、幸せそうでいいね、とほほ笑み、
裕福な財産家をみれば、すばらしい業績ですね、と拍手する。
常識なんか、くそくらえですが、
常識を生きている人ですら祝福できる気持ちになれたのです。
ブッダはこんな素晴らしい言葉を言っています。
犀(サイ)の角のようにただ独り歩め
素敵です。僕もそんな風に生きれられるようになりたいものです。