社員4人の会社で再出発

不治の病とされる精神病で、廃人寸前にまで至った僕。
失業して、多額の借金を背負い、しかも引きこもりになった僕。
自宅のソファから離れられず、窓の外の青空をぼんやり眺めていた毎日。

そんな僕の回復のきっかけとなったのは、社員4人の小さな業界誌の会社への就職でした。

転職も十数回の僕を拾ってくれた社長は、業界でも変わり者と呼ばれる浮世離れしたおじさんでした。
なぜか僕を気に入ってくれ、机を与えてくれました。

最初の頃は、机で居眠りしたり、取材と言って、外出して、見たくもない映画をぼんやり眺めたり、会社に戻っても、事務員の女の子とパソコンでチャットを興じていました。

社長はずっと見てみぬふりをしてくれました。

そんな僕がその業界誌にいい加減な記事を書き、取材先から猛抗議が来たときがありました。
相手は謝罪広告を掲載しろと迫ります。
その会社には謝罪広告を出稿するカネなど当然ありません。
僕が電話口であっぷあっぷしていました。
頭のなかでは、「ああ、この会社もこれでクビか」などという思いが駆け巡っていました。

すると、その社長がすっくと立ち上がり、僕の電話を取ると、謝罪広告は出しません。記事の内容に不服があるなら、私がそちらに出向きましょう」ときっぱり言ってくれたのです。

このおっさん、やるときは、やる。

僕は社長の毅然とした態度に、目が覚める思いでした。

これが仕事だ。

僕は長いこと、マスコミの厳しい現場から離れていたので、記者として大事な魂を忘れていたのです。

僕はそれから居眠りやチャットをしながらも、取材と執筆に少しずつ力を入れました。
それまでは、

たかだか2000部程度の業界誌

となめていた、その会社の出版物に、自然と熱が入るようになったのです。

もちろん、借金を返済に迫られていました。
精神病も治ってきていたとはいえ、克服できていませんでした。

でも、毎日、業界の小さな情報を拾ってあるき、コツコツと記事を書く中で、
僕は忘れていたものを取り戻しつつあったのです。

自信。そんなもの、一生手に入れることはないと思っていました。
でも、その当時、自分の中に自信めいたものが生まれてきたいのです。
それは、自信ではなく、過信、思いあがりでした。

結局、最後はその社長を裏切ることになります。
少し回復した僕は、調子に乗って、もっと大きい会社に転職したのです。
最低な男です。

社長、すみません。
そしてありがとうございました。