元気になると、「自分をよく見せたい」というエゴが出る

中堅出版社にもぐりこんだ僕。

つい1年前までメソメソして、ソファに張り付いていた僕ですが、
そこそこ日常生活を立ち回れるようになると、しょうもない欲望がまた頭をもたげます。

カッコよく見られたい。
頭がいいように見られたい。
一目置かれたい。
尊敬されたい。

これははっきりいって、

自我の病、
エゴの病。

であります。

人間、どん底のときは、人にすがりますが、
ちょっと調子いいと、人を思うままに操りたい、と思うものです。

僕の持論、というか、仏教の教えに、

本当は自分(自我)なんてものは、存在しない

というものがあります。

おれ、おれ、おれ。
私、私、私。

そんなものは、一時、自分というものが存在してるかのように見える錯覚だと言うのです。

自分を絶対視しても、意味がないというわけです。

だって、人間、環境次第でコロコロ変わりますし、
年齢や境遇によって、考え方は刻々と変化していきます。

そんな自分の一部を切り取って、絶対視することは大変危険な行為なのです。

自分の一部を切り取って、他人によく見せても、
実は他人もあなたのイメージ通りには見てくれない。

なんたって、自分というものは、この一時、地球の片隅で一瞬だけ存在するかのように見える、

「仮の姿」

ですから。

僕はまんまとこの罠に落ちました。

もっとおれを見ろ、もっと尊敬しろ。

傲慢です。みっともないエゴです。
こんないかがわしい心をもった人間に、人は振り向きません。

僕は社内で再び追い込まれていきます。
企画は通してもらえない。
ノルマが達成できない。

僕は再び、変な自我の迷路に陥り、暴走します。

次回は、僕が犯した「宗教遍歴の旅」についてお話します。