他人を許すことは自分を解放すること

憎い。

こんな気持ちは人間だったら当たり前です。

顔も見たくない。
あいつが不幸になればよい。

そういう相手も実際、誰にもいますねー。

僕もいっぱいいましたよ、今も少々^^;

でも、憎しみというのは、実はそういう相手がいるから存在するのではなく、
自分の心の中にあるさざ波である、という考え方もあります。

みんな自分本位に生きています。
自分がいちばんかわいいんです。
ですから、他人とは利害がぶつかります。

恋愛においてもそうですね。
こっちがいくら愛しても、相手がこたえてくれるとは限らない。

私がこんなに愛しているのに、
あの人は私の心を踏みにじる

そういう体験も、誰しもあるでしょう。
でも、相手は踏みにじっているわけではありません。
ただ、自分の思うように好き勝手にやっているだけです。
あなたの心を積極的に踏みにじっているわけではないのです。

もし踏みにじられたと思ったら、
それはあなたの心の中だけで起きている、さざ波である、と考えたほうがよいでしょう。

では、さざ波をなくすにはどうしたらよいでしょうか。

それには、
目の前に繰り広げられている、
あるがままの世界を観察しましょう。

そう言われても難しいのはわかっています。

でも。

それしか抜け出る方法はないのです。

相手に復讐したい気持ちはわかります。
実際、復讐してもよいでしょう。
でも、たいていの人は泣き寝入りするほかないんです。

泣き寝入りをするのなら、
自分の凝り固まった認識の壁を打ち崩すほかないのです。

僕の場合、坐禅や瞑想が役に立ちます。
「無」になるということは、
「所有」を放棄することであり、
欲望から自由になるということです。

でも、みんながみんな簡単に坐禅できるわけもありません。

僕がおすすめするのは、
毎日、その日に起きたこととそれに対する気持ちを記録することです。
「憎い」とか「ぶち殺したい」とか感情を書くのではありません。
あったこと、それに対して、どういう感情が起きたかを淡々と書くのです。

まずは、10日やってみませんか。
「ふーん、自分って、こういう風に考えるのか」と気づくことができます。
この「気づき」が重要なんです。
「気づく」と感情をズームアウトして、俯瞰(ふかん)で見ることができるようになります。
僕は冒頭で、「あるがままの世界を観察する」と言いました。
この「観察」が大事なんです。
お医者さんのような冷静でクールな目が、自分の治療には大切です。
ほぼ日手帳」のような日めくりの日記帳があるとベストですね。

世界をありのままに観察できるようになると、
心に余裕が出てきて、さらにそれが広がると心が解放されます。
心が解放されたとき、あの叩きのめしたいほど憎んでいた人も、
たいして気にならなくなり、自然と許せるようになります。

「よし、いまから許す」はウソです。

そんなに簡単に人は感情を切り替えられません。
たとえ、許すと決意してもわだかまりは取れません。

さきに心を自由に解放するのです。
そうすれば憎い人を許せ、世界と和解することができます。

まずは憎しみの対象から自分を一度、引き剥がして、
自分の心の観察を続けてみてはいかがでしようか。

いいこと、ありますよー。グラッチェ