「決められない」のは勇気のある証拠

「決断力」の大ウソ

「決断力をつける」などのテーマの本か売れています。
「決断力」がない人間は時代に取り残される。
「決断力」がない人間はチャンスを取りこぼす。

本当でしょうか。

一世一代の決断。
みたいな場面が、人生では何度かあります。

人生の岐路での決断。
そんな大げさな言葉がよく使われます。

もちろん、否定はしません。
決断しなくてはならないときは、僕もそうしますから。

でも。
「決断しよう」と息巻いてした決断は、
僕の場合は、たいてい失敗に終わりましたね。

転職しかり、
ビジネスの投資しかり。
人との出会いと別れ、しかり。

全部、失敗しとります。

それはおまえがバカだからだ、と言われればその通りかもしれません。

そんなでっかい決断でなくても、常に失敗していますね。
昼飯のメニュー、電車の経路の選択、傘を持って出るか否か・・・。

たいてい失敗しています。

「決断する」って、そんなにすごいことなんでしょうか。

自力はコケる、他力の時代

仏教では、自分で推し量って行動することを「自力」(じりき)と言います。
一方、自分の運命を天にまかせることを「他力」(たりき)と言います。
仏教の中にも、「自力」を重んじる宗派と、「他力」を重んじる宗派があります。

「自力」の代表格は、禅宗です。
坐禅をして、自己を知る、まさに自分頼みの宗派です。
「他力」の代表格は、浄土真宗です。
親鸞上人の教えで、南無阿弥陀仏と唱えて、天の救いを待つ宗派です。

神頼みなんて、うそ臭い。
と思う方も多いでしょう。
でも、自分頼み、というのもキツい感じがします。

僕が思うに、「自分頼み」に自信がある人は、まだどん底を味わっていない方なんじゃないかなー、と思うのです。

追い詰められ、ぎりぎりのところまで落ち、最後に「助けてください」と土下座をする心持ちまで落ちた人は、自分の力の限界をよく知っています。

運命に逆らわない、あらがわない

世の中のパワー、もっと大きく言えば、宇宙のパワーは偉大です。
それに比べると、僕らの努力なんて、ハナクソみたいなものです。

僕はイスラムの方々が、礼拝するとき、聖地に向かって、身を低くする姿に心を打たれます。
自分なんか、小さい。神の力は偉大だ。だから、自分のすべてを神に捧げます。

インドに行ったとき、夕暮れに、イスラムの寺院からコーランが流れ、みなさんがひれ伏している姿に、僕は深い感動を覚えました。

さて、「決断力」の話に戻りますが、
自分の判断に自信を持っているうちは、
宇宙のパワーは流れこんでこないと思うんです。

ひれ伏して、ひれ伏して、すべてを受け入れたとき、
宇宙のパワーが全身を満たしてくれるはずです。

小手先の決断なんて、たかが知れています。
もっと雄大な目で、宇宙と交流して、
宇宙のエネルギーの流れに、すべてをまかせてみるのも、
素敵なことだと思いませんか。

それには、運命に逆らわない、あらがわない。
あるがままを受け入れる。

きっと気持ちがすうっと楽になりますよ。