書かないと気が狂ってしまうことを書く

お久しぶりです。
しばらく執筆から離れていました。
読書からも音楽からもあらゆるものから離れました。

私はただ生きることを試してみました。
何もしない、何も考えない。
生産活動というものから離れた自分はどう生きられるか。
創造することを停止した生き方はどんなものかという実験です。

いいえ、私はいま、嘘を言いました。
何もしたくなかったのです。
何かを発することに疲れてしまったのです。
発することから逃避していました。

何かを発すること。
そこに何があるのかと。

自分が高揚すること。
他人に何かをギフトすること。

それがいかに困難な作業か、
思い上がった行為か、をかみしめていました。

生きいれば情報やノイズは必ず入ってきます。
私は私なりにそれを解釈して、それを文字にしていました。

それがいかに無力で傲慢でおぞましいことか。

TwitterFacebookほかのSNSを見ると、
みんなが必死になって何かを伝えたがっている。
何かを叫んでいる。

私もその一人でした。
それはある意味暴力だし、私は暴力を発し、
自分の発した暴力で自分自身も傷ついていました。

言葉を発するとは何だろう。
人に伝えるとは何だろう。

私はそれを考えていました。

結果、沈黙するしかほかありませんでした。

先日、ある山小屋で時間を過ごし、
遮断された時空間を過ごし、
そしてどういうわけかまたいま、このブログを書いています。

そしてまた書くかもしれません。
たぶん書くでしょう。

しかし、自分にオキテを課そうと思います。
ほんとうの思いだけを書こうと。

残された人生は短い。
自分の業(カルマ)によって、
ほとんどのものを失った。
飾る必要もない。
飾りたいとも思わない。

そんなわけで、意味不明なことも書くかもしれません。
でも自分にとっては、書かないと気が狂ってしまうことを書きたいと思います。