精神病患者に対する友人、同僚の反応

大日本印刷出張校正室での失態から1週間、僕は自宅待機となりました。

なんだか、夢を見ているようでした。
「おまえはノイローゼだ」と編集長にみんなの前で言い放たれ、
逃げるように印刷所から遁走した僕。

そのときは、自分は少しおかしいのかもしれないと思いつつも、
まだ実感が持てていない状況でした。
疲れているのかもしれない。
そう自分に言い聞かせました。
でも、まだ自分の病理を受け入れるには至っていません。

僕は会社の人事部に電話して、
早く職場に戻してほしいと懇願したと記憶しています。
人事部長は穏やかな方で、
「おまえも、あの編集長につぶされたんだ。まあ、ほとぼりがさめるまで、
のんびりしなさい」みたいな励ましたを受けました。
しかし、僕は早く出社したくてたまりませんでした。
自分が病気であることを受け入れたくない、
そして、そんなに休んだら、僕がノイローゼであることが、社内に広まってしまう、
そんな焦りがありました。

当時はまだ精神病になる人はいまほど多くなく、
同僚も病気に対する理解や免疫ができていなかったと思われます。
1週間の自宅待機のあと、出社した僕をみんなは無表情な顔で対応しました。
どう反応して良いのか、わからなかったのだと思います。
なにしろ、僕の病理も病名もみんなよくわかっていませんでしたから。
ただ、その後、僕は発狂して、半年後に会社にもどったときは、
さすがにみんな僕を気持ち悪がったり、興味本位でからかったりする人も出てきて、
僕も自分が重病人であることを自覚したわけですが、
この段階ではまだみんなもなんだかわからないというの状況でした。

僕は気丈に、いろいろなところに大きな声で電話するなどのパフォーマンスを行いました。
僕の空元気にみんなはなんとなく安心した模様でした。
それでもみんな積極的には関わってこない。
僕は孤立化しました。

ある日、女性の同僚を会社の隣の公園に呼び出し、
ベンチでお話ししたことがありました。
その女性が以前、僕に好意を持っていたのを知っていたので、
僕としては、彼女だけは理解してくれると思っていたのです。

「あのさあ、おれ、病気ではないから」と僕は明るく言いました。
「うん、意外と元気みたい」と彼女はこわばった表情で言いました。
「おれさ、あの編集長とノリが合わないし、この会社、合ってないみたい」
「そうなんだ」と彼女は言い、うつむきました。
「おれ、病気に見えるかな」
「そんなことないけど、でも・・・少し休んだほうがよいかも・・・」
「休むだって? 冗談きついよ。おれ、もっといい会社に転職するよ」
「そうなんだ。がんばって。あ、私、打ち合わせがあるから」と彼女はそそくさと帰って行きました。
チックショウ、どいつもこいつも・・・。
僕は春の霞んだ空を仰いでつぶやきました。

絶対に転職して、成功してやる。

それから、僕の狂気の転職活動が始まったのです。