就職しては、挫折。また就職しては、逃げて帰る。
そんなことを数年間、続けていました。
履歴書はメタメタになっていく一方、
借金は増える一方、
家族にも見捨てられこと風前の灯。
僕は午前中、のろのろと起きて、
ソファの上で夕方まで過ごし、
そして般若心経の本を持って、都心にある妻の会社の前の喫茶店の間で毎日出かけて行きました。
妻はキャリアウーマンで、夜遅くまで仕事をしていました。
僕は夕方になると、ものすごく不安になるので、自宅から1時間半もかけて、
毎日、妻のオフィスの近所まで出かけたのです。
そこで妻の帰りを待ち、夕食をとって、深夜帰宅するという生活でした。
妻はパワフルな人でした。
そんな人が戦っている職場の半径200メートル圏内にいることで、なんだか心が安定したのです。
生命力、でしょうね。
生命力をいただいていんです。
もはやコミュニケーションとかそういう格好をつけたものではなく、
ただ強いもののオーラを受けていたかったんです。
もちろん、妻は嫌がっていました。
でも彼女は辛抱強く、ストーカーのような僕の行為を受け入れてくれていました。
僕は喫茶店の片隅で、ずっと般若心経を読んでいました。
でも、それでよかったんだと思います。
家に引きこもって廃人のように寝ているより、
妻にすがって、生命力のおすそ分けを頂戴するだけ、まだ生きたいという気力が残っていたんです。
自信の積み上げ方。
人はみな不安を抱えて生きています。
自信が持ちたいと願っています。
お金を儲けたい
出世したい
モテたい
自信を持って、目標に挑みたいと願っています。
しかし、目標が大きければ大きいほど挫折して、
より自信を失います。
僕が非常にラッキーだったのは、
目標設定が低かった
ことにあります。
僕の目標設定は、
今日だけ生きよう
でした。
妻には内緒でサラ金のカードで喫茶店代を引き出し、
毎日、電車代とコーヒー代だけで過ごしました。
今日だけ生きよう
その目標設定は、実はいまも一緒なんです。
今日生きて、今日野垂れ死ぬ
そんな覚悟で生きるしか、自分のような不器用な人間にはできません。
でも、これ、仏教の考え方と同じなんです。
過去や未来はありもしない妄想でしか過ぎないのです。
そうです。
今日です。いま、です。
聖書にも、
明日のパンを思い煩ってはいけない。
明日のパンのことを心配するのは、
神様の仕事だ。
と書かれています。
仏さまという運命に身を委ね、
とりあえず、今日一日を生き抜くことが、
自信を築く第一歩、のような気がします。