般若心経は宗教ではない

仏教を超えた「生」な言葉たち

人生どん詰まりのぼくは、般若心経を手にしました。
これははじめて言うことなんですが、
般若心経が仏教の教えの中核を伝える教えだから、
信じて読んでいるわけではありません。

どちらかというと、ぼくは無神論に近いし、
仏教をとりたてて崇め立てているわけではありません。

宗教はある意味「イズム」です。
なんとか主義とか、なんとか宗派とか、
それそれが主張しあい、罵り合っているのは悲しく見えます。

干からびた宗教は人を牢獄に押し込めます。

なぜなら。
みんなただ安心したいから飛びつくだけです。
ドグマに満ちた宗教というシステムの中にいれば、
ぬくぬくとあったかいからです。

気持ちはわかるけど、ちょっとさみしい。

般若心経はそれを超越したところにあります。
言葉が生きているのです。
経典の中の死んだ言葉とはちがいます。
般若心経は「詩」なのです。

権威という偏見から脱出する

権威とは、死にがらです。
人は「いま」を生きています。
「いま」ただ、この瞬間に体験した「生」な驚き、
それだけが人を自由にしてくれるのです。

世界は恐るべきスピードで変化しています。
確かなのは、その「変化」だけ。

一瞬、一瞬の「変化」に驚く。

その経験こそが、生きている証なのです。

般若心経は、あらゆる権威と常識と偏見から、
つねに自由でいろ、と訴えています。
だから、宗派などの垣根をくぐりぬけて、
いまも万人の心を打つのです。

このブログでも、これからそのあたりを
訴えていきたいと思います。