元気になると、「自分をよく見せたい」というエゴが出る

中堅出版社にもぐりこんだ僕。

つい1年前までメソメソして、ソファに張り付いていた僕ですが、
そこそこ日常生活を立ち回れるようになると、しょうもない欲望がまた頭をもたげます。

カッコよく見られたい。
頭がいいように見られたい。
一目置かれたい。
尊敬されたい。

これははっきりいって、

自我の病、
エゴの病。

であります。

人間、どん底のときは、人にすがりますが、
ちょっと調子いいと、人を思うままに操りたい、と思うものです。

僕の持論、というか、仏教の教えに、

本当は自分(自我)なんてものは、存在しない

というものがあります。

おれ、おれ、おれ。
私、私、私。

そんなものは、一時、自分というものが存在してるかのように見える錯覚だと言うのです。

自分を絶対視しても、意味がないというわけです。

だって、人間、環境次第でコロコロ変わりますし、
年齢や境遇によって、考え方は刻々と変化していきます。

そんな自分の一部を切り取って、絶対視することは大変危険な行為なのです。

自分の一部を切り取って、他人によく見せても、
実は他人もあなたのイメージ通りには見てくれない。

なんたって、自分というものは、この一時、地球の片隅で一瞬だけ存在するかのように見える、

「仮の姿」

ですから。

僕はまんまとこの罠に落ちました。

もっとおれを見ろ、もっと尊敬しろ。

傲慢です。みっともないエゴです。
こんないかがわしい心をもった人間に、人は振り向きません。

僕は社内で再び追い込まれていきます。
企画は通してもらえない。
ノルマが達成できない。

僕は再び、変な自我の迷路に陥り、暴走します。

次回は、僕が犯した「宗教遍歴の旅」についてお話します。

社会復帰してよみがえる、妬み、恨み、憎しみ

平穏に暮らしつつある、いま、あの地獄のような日々を思い出して書いています。

でも、あの地獄の30代のことをいくら思い出そうとしても、鮮明さに欠けます。
どこかで微妙に輪郭がぼけているというか、ピントが合わなくなります。

夢の中のような10年でした。

小さな業界誌の会社で、少しずつ自分を取り戻していきました。
正確に言うと、自分を取り戻すというより、新しい自分が生まれてきたのです。
いままでと全然違った人格。
それは般若心経を中心とした仏教の教えに基づいています。

僕は業界誌の社長を裏切り、中規模の出版社に転職しました。
みんなに助けてもらったご恩をすぐさま忘れ、
自分だけでやっていけるつもりになっていたのです。

その出版社では、書籍の編集者の仕事を得ました。
鉄道やブライダル、マネーなどいろいろな分野の書籍を作りました。
あれだけ引きこもっていた僕が、なにか編集者として
いっちょまえな口を叩くようにもなりました。

おれは病気だった。
ついていなかったから、
自分の能力が発揮できなかった。


そうやって病気を悔やんだり、嘆いたりして見せました。
大馬鹿者です。

そんな中、かつて勤めていた出版社の同期会があったのです。

まだいくべき時期ではありませんでした。

久々に顔を揃えた男女はみんな輝いていて、快活でした。
有名人などとの交友の話や、最新のトレンド事情などが飛び交い、
僕はそれにまったくついていけませんでした。

みじめだ、妬ましい、悔しい、憎い
と感情が増幅していったのです。

僕は一次会で退散して、新宿の場末の居酒屋でまずいホッピーを飲んだと記憶しています。

そのときは般若心経の教えなど吹っ飛んでいました。

後悔しない。
他人と比較しない。
奢らない。

など般若心経が教えてくれたことが、いとも簡単にすっ飛んでしまったのです。

人は生存を脅かされると、信念なんて、
簡単にすっ飛んでしまう存在なんです。

世の中に、絶対的なものは存在しない、と般若心経は言っています。
永遠に不滅な真理などないのです。

ただ、あるのは世界が変化する、
そのことだけです。

僕は般若心経に救われたなどと思っていましたが、
そんなことは嘘っぱちだと気づいた夜でした。

そのとき、僕ははじめて般若心経の門を叩いた新入生になったのです。

社員4人の会社で再出発

不治の病とされる精神病で、廃人寸前にまで至った僕。
失業して、多額の借金を背負い、しかも引きこもりになった僕。
自宅のソファから離れられず、窓の外の青空をぼんやり眺めていた毎日。

そんな僕の回復のきっかけとなったのは、社員4人の小さな業界誌の会社への就職でした。

転職も十数回の僕を拾ってくれた社長は、業界でも変わり者と呼ばれる浮世離れしたおじさんでした。
なぜか僕を気に入ってくれ、机を与えてくれました。

最初の頃は、机で居眠りしたり、取材と言って、外出して、見たくもない映画をぼんやり眺めたり、会社に戻っても、事務員の女の子とパソコンでチャットを興じていました。

社長はずっと見てみぬふりをしてくれました。

そんな僕がその業界誌にいい加減な記事を書き、取材先から猛抗議が来たときがありました。
相手は謝罪広告を掲載しろと迫ります。
その会社には謝罪広告を出稿するカネなど当然ありません。
僕が電話口であっぷあっぷしていました。
頭のなかでは、「ああ、この会社もこれでクビか」などという思いが駆け巡っていました。

すると、その社長がすっくと立ち上がり、僕の電話を取ると、謝罪広告は出しません。記事の内容に不服があるなら、私がそちらに出向きましょう」ときっぱり言ってくれたのです。

このおっさん、やるときは、やる。

僕は社長の毅然とした態度に、目が覚める思いでした。

これが仕事だ。

僕は長いこと、マスコミの厳しい現場から離れていたので、記者として大事な魂を忘れていたのです。

僕はそれから居眠りやチャットをしながらも、取材と執筆に少しずつ力を入れました。
それまでは、

たかだか2000部程度の業界誌

となめていた、その会社の出版物に、自然と熱が入るようになったのです。

もちろん、借金を返済に迫られていました。
精神病も治ってきていたとはいえ、克服できていませんでした。

でも、毎日、業界の小さな情報を拾ってあるき、コツコツと記事を書く中で、
僕は忘れていたものを取り戻しつつあったのです。

自信。そんなもの、一生手に入れることはないと思っていました。
でも、その当時、自分の中に自信めいたものが生まれてきたいのです。
それは、自信ではなく、過信、思いあがりでした。

結局、最後はその社長を裏切ることになります。
少し回復した僕は、調子に乗って、もっと大きい会社に転職したのです。
最低な男です。

社長、すみません。
そしてありがとうございました。

般若心経は音楽だ!

僕の遊興のひとつに音楽があります。
絶望の中で、僕が支えとしたのは音楽だけでした。

音楽なしには生きられません。

若い頃から、ロック、ジャズ、テクノ、ヒップホッブ、ソウル、カントリー、ブルース、ラテン、ハワイアン、琉球音楽ほかの民族音楽などを聴きまくってきています。

人生は音楽です。

うまいメシ、感動する小説、素敵な女性・・・世の中のすべての感動には、
音楽が流れています。

僕を救ってくれたあの経典も実は音楽なんです。
そう、

般若心経は音楽だ!

さらに言えば、

般若心経はパンクである!

このことは、僕の処女作、『29歳からはじめる ロックンロール般若心経 世界を裸眼で見るレッスン』に詳しく書かれています。
この本を作った経緯に関しては、あとでゆっくりお話しますね。

さて、なぜ、般若心経が音楽であり、パンクであるか。
その理由はたくさんありますが、今日はひとつだけご紹介しましょう。

般若心経には、音写が多い、ということです。
音写とは、ここでは、インドの言葉をそのまま翻訳せずに、漢字で当て字した言葉を指します。

ちょっと紹介しますね。

あのくたらさんみゃくさんぼだい

な、なんでしょう。このセリフ。
これ、般若心経の一節で、漢字では、

阿耨多羅三藐三菩提

なんか、セクシーでカッコよくないですか。

さらに、最後をしめくくる、呪文はこうです。

ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい
はらそうぎゃてい ぼじそわか


これは、こう書きます。

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

なんか、ロックでしょ?
かっこいいです。

意味なんか、関係無いです。
これはインドのおまじないなので、翻訳せずにそのまま当て字をつけたのです。

意味なんか、わからなくて、いいんです。
とにかく唱えてください。

あなたに幸福をもたらします。

音楽は波動です。
言葉やロジックが入ったら、
死んだも同然です。


ここが般若心経のパンクな魅力なのです。
ぜひこの言葉を自分のスマホや手帳にメモして、
落ち込んだときに唱えてください。

僕は。つらかったとき、いつも唱えて乗り越えました。




薄皮がはがれるように

五日一風十日一雨
ゴジツイツプウジフジツイチウ

五日に一度、風が吹き、十日に一度、雨が降る。
禅の言葉です。
天候が良好で、太平な毎日のことを言います。

三寒四温

なんて言葉もありますね。

まさに病気からの回復は、そんなゆったりゆったりとした時間でした。
O先生は、病気からの回復を、

長い滑走路を離陸に向けて助走する

なんて言ってましたね。
僕も写経したら、すぐに治った、なんて奇跡のような話ではなく、
じんわりじんわり治っていったのです。
そう、

薄皮が一枚一枚はがれていくかのように。

いま、心の病を背負っている方に、言いたいです。
すぐによくなろうなんて、思うとつらくなります。
ゆっくりゆっくり。

すると、気が付くと、ご飯を2杯おかわりしていた、とか、
ショーウインドウで見たシャツを衝動買いした、なんて、
いつもよりちょっとだけ前向きになれていた自分に気づく時がきます。

あと、クスリはちゃんと、のんでくださいね。

あと、いちばん、大事なこと。
失うことを嘆かないでください。
これは病のある方以外の方にも言いたいです。

般若心経にこんな言葉があります。

「心無罣礙」(しんむけいげ)

心にとらわれのないことを言います。

「心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖」
(しんむけいげ むけいげこ むうくふ)

心にわだかまりがないから、おびえることもない。

不安やおびえは、何かをキープしようとするから生まれるのです。
すべてを手放すと、もう手放せるものがないから、
気持ちが軽々となるのです。

恋人を失う
家族を失う
仕事を失う
自信を失う

その事自体は悲しいです。
失うことで人は落胆するでしょう。

でも、それで人生、チャラ。
ふりだしに戻りまた。

生まれ変わるのです。

僕はお金がなかったある台風の夜、
傘を買うのが惜しくて、びしょびしょになりながら、
家路についたことがありました。

そのとき、久々に笑ました。
傘も買えない自分が風雨の中で、笑ったのです。
毎日、死んだように青白い顔をしていた自分が、
その夜はなにか爽快で。涙を流しながら笑いました。

これぞ、ザ・心無罣礙。

笑った自分は、もしかしたら、峠を超えたのではないか、と、感じたのです。

それは気づかないうちの半歩前進でした。



体重98キロ、シミ・むくみ、頭も禿げて、シャツを出して歩く男に

前回は暗い話をしてしまいました。

では、加えて、笑えそうで笑えない話を。

僕は大学では体育会系で、30歳までは、シャキーンとした身なりをしていました。
小沢健二のように(!?)グッチのビットモカシンを履いて街を闊歩しておりました。

そんな僕も、4年後には、

体重98キロ
胴囲108センチ
シミ・むくみ多発
前髪がパラパラ落ち、薄毛に
いつもシャツを出して歩く男に


鏡を見ると、げんなりしました。
人に会いたくなくなりました。
引きこもりです。

電車に乗ると、隣のOLのおねえさんが嫌な顔をします。
昔の女友だちに久々に会うと、無表情になります。

僕は自分を憎みました。
自己嫌悪で苦しみました。

家族を裏切り、借金を重ねました。
娘が口を聞かなくなりました。

最低。

そうです。自分でもそう思います。

そんな僕を救ってくれたのが、般若心経であり、今日、ご紹介する「歎異抄」でした。

歎異抄」。たんにしょう、と読みます。

浄土真宗の開祖、親鸞の言葉を弟子の唯円がまとめたものです。
有名な言葉にこんなのがあります。

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」

善人だって天国に行けるんだから、悪人は当然、天国に行ける。

変な言葉ですね。
悪人は当然、天国に行ける、とは。

最低の人間だった僕は、この言葉にすがりました。

おれのような悪人も救われる!?
なんじゃその宗教。

ですよね。逆です。
普通は善人こそ、天国に行くべきです。

親鸞はこんなことを言うのです。
善人は天国に行こうと小賢しい努力をする。
しかし、小利口に立ちまわることのできない無学な人にこそ、
無垢な心が備わっている、と。
その無垢な心こそ、仏さまは見逃さないんだと。

そうです。僕も小賢しい人間でした。
ずるい狡猾な人間でした。

仏さまに見捨てられたのです。

でも、いろいろあって僕はみんなに、

助けてください

土下座したのです。
なんの狙いもなく、ただ心から土下座したのです。
するとみんなは許してくれました。
少しずつ、がんばれ、と言ってくれる人が増えました。

泣けてきました。

ありがとう。

それしか言えません。
みんな仏さまでした。

仏教では、仏はそれぞれの心の中にいる、と言います。
一人ひとりがブッダなんです。
そのブッダを拝み合うことで、僕たちは結ばれていくのです。

あ、ちなみに、体重と髪はけっこう戻りました(笑)

借金が800万円に。自己破産へのカウントダウン

精神病になり、山の中の病院に通っていた僕。
社会復帰したけど、僕が勤める会社はブラックばっかり。

怪しいヒーリンググッズや、押し売り、ねずみ講の広告記事を書いて、世をしのいでいた僕。

収入は病気前の4分の1。

バブルのクセが治らないのと、孤独で寂しく、
遊興費はかさむ一方。

失業を繰り返して、ついに失業保険も切れ、
生活費を補填するのに、サラ金に手を出しました。
10社ぐらいから、数十万ずつ借り入れ、
その額は、数年間で、800万円を超えました。

自己破産。

その恐ろしい言葉が脳裏をかすめます。
もし、自己破産したら、妻の折半で出しているマンションの権利は持っていかれる。
家族は家を失う・・・。

当時、娘は頻尿で、とてもビクビクした女の子となっていました。
やたら、臆病で、顔色も暗い。イジメにもあっていました。
教科書に「死ね」と書かれていました。

僕のせいです。
僕が娘にも地獄を味あわせませた。

自己破産したら、
家族はマンションを追い出される。
バブルの当時、5000万円以上をはたいたマンションです。

人生が終焉を迎えていました。

僕は引きこもり、毎日、ソファから窓の外の青空を眺める日々。
でも、借金の催促がとまるはずもありません。

飛ぶか・・・。

高飛び。
本当にそれを考えました。
まだ妄想もけっこうあったので、
怖い人に臓器を取られるという恐怖が僕を支配しました。

僕が豊島区の雑居ビルにある小さな弁護士事務所に駆け込んだのは、それからしばらくたった冬のことでした。

なけなしのカネで、駅前のラーメン屋に入り、ラーメンをすすったのを覚えています。

そして、弁護士にすがったのです。

「助けてください」

僕は眼光の鋭い初老の弁護士に泣きすがりました。

「800万か、ちょっと多いな」

弁護士はぶしつけな目で、僕を見ました。

絶対返します。だから、助けてください。
弁護士は、月に10万円の返済を約束に、僕を救ってくれました。

僕は弁護士の前で、
すべてのカードにハサミを入れました。

あれから、10年。

どうやって生きてきたか、覚えていないくらいです。
またまた般若心経から離れますが、次回は、悪人の救済をうたった親鸞という思想家のお話をしましょう。